光風霽月
2024年末に外務省を退官した。四十年近い外交官生活において、大半を中国に関わる仕事に携わってきた。在外の生活でも、南京大学への留学を皮切りに、北京、香港、台北と、約十八年間にわたって、中華圏で勤務してきた。全て私の希望、そして選択である。
一回きりの人生、私なりに一所懸命やってきた。
自分が目指した大使像や大使館像を追求し成し遂げられたと思っている。国益を踏まえ、主張すべきは主張しながらも、協力関係を求めた。日系企業を支援し、邦人保護に決して手を抜かなかった。発信を強化し、大使公邸を在留邦人に開放した。常に同僚と、そして自分自身に、歴史に恥じない外交を求めた。日中両国の国民・人民には、両国は千年以上にもわたって、ともに助け合ってきた、たくさんの人間ドラマで紡がれてきた関係であることを訴えてきた。
光風霽月
2024年末に外務省を退官した。四十年近い外交官生活において、大半を中国に関わる仕事に携わってきた。在外の生活でも、南京大学への留学を皮切りに、北京、香港、台北と、約十八年間にわたって、中華圏で勤務してきた。全て私の希望、そして選択である。
一回きりの人生、私なりに一所懸命やってきた。
自分が目指した大使像や大使館像を追求し成し遂げられたと思っている。国益を踏まえ、主張すべきは主張しながらも、協力関係を求めた。日系企業を支援し、邦人保護に決して手を抜かなかった。発信を強化し、大使公邸を在留邦人に開放した。常に同僚と、そして自分自身に、歴史に恥じない外交を求めた。日中両国の国民・人民には、両国は千年以上にもわたって、ともに助け合ってきた、たくさんの人間ドラマで紡がれてきた関係であることを訴えてきた。
振り返れば、精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと自負している。何の後悔もない。いまは「光風霽月」の心境である。
外務省を退官し、新しい人生を歩むにあたり、第二の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかと考えていた。しかしながら、退官直後から、インタビューや講演の依頼が殺到した。その多さにときに辟易しながらも、中国や台湾問題への関心の高さをあらためて思い知らされた。また、中国問題研究家としての役割が期待されていることも強く感じた。私をこれまで養ってくれたのは国民の税金であり、その知見、経験、人脈がまだ些かでも役に立つのであれば、もうしばらくは中国問題に関わっていく必要があると感じている。そうした観点から、このホームページでは、私の中国問題研究家としての活動や主張、著作物などを紹介することとしたい。
振り返れば、精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと自負している。何の後悔もない。いまは「光風霽月」の心境である。
外務省を退官し、新しい人生を歩むにあたり、第二の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかと考えていた。しかしながら、退官直後から、インタビューや講演の依頼が殺到した。その多さにときに辟易しながらも、中国や台湾問題への関心の高さをあらためて思い知らされた。また、中国問題研究家としての役割が期待されていることも強く感じた。私をこれまで養ってくれたのは国民の税金であり、その知見、経験、人脈がまだ些かでも役に立つのであれば、もうしばらくは中国問題に関わっていく必要があると感じている。そうした観点から、このホームページでは、私の中国問題研究家としての活動や主張、著作物などを紹介することとしたい。
第十六代在中華人民共和国日本国特命全権大使